能登で支援活動を続ける山中さんのお話をじっくり伺う機会をいただきました。

山中さんの原点は、1995年の阪神・淡路大震災。
当時、避難所で途方に暮れる人々を救ったのは、新潟からリュック一つで駆けつけた一人の看護師さんでした。
彼女が掃除をし、一人ひとりの話を聞き、寄り添うだけで、殺伐としていた空気が一瞬で温かくなった。
「その背中を見て、私も看護師にならなあかんと決めたんです」
という言葉に胸が熱くなりました。
あれから30年。
熊本、西日本豪雨、
そして今の能登。
山中さんの信念は一貫しています。
「避難所を単なる『収容所』にしたくない」
「食べて、寝て、笑える、人間らしい生活を取り戻してほしい」
その思いで、避難所にこたつを置いたり、
時には救急車に大根を山積みにして走ったり(笑)。
制度の隙間で困っている親子や高齢の方々に、何ができるかを常に問い続けておられます。
今は能登町で、福祉避難所の運営や仮設住宅の見守りに関わっておられますが
避難所を出た後の「孤立」という新しい課題も見えてきたそうです。
それでも、
「繋がりさえあれば、人はまた立ち上がれる」
という力強い言葉に、私自身も深い共感と、
これから自分にできることを考える大切な機会をいただきました。
お楽しみイベントの企画から、おしゃべり会、
そして未来の看護学校構想まで……。
「モノを届けて終わり」ではなく、その人が明日への希望を持てる環境を整える。

そんな山中さんの情熱に触れ、背筋が伸びる思いです。
山中さん、温かいお泊まりと美味しいご飯、
そしてチラシ配布の同行まで、本当にありがとうございました!


























